風は、目には見えない。しかし、肌で、身体で感じることはできる。普段何気なく目に見えるもの、目に見えないものを素直に深く感じる心、つまり感性がどれ程大切でありましょう。

 龍田大社は、風の神様をお祀り申し上げております。上昇気流と下降気流の中に、神様がいらっしゃると言うのが風の語源であり、また神の語源は風を表しております。では、この風とは一体如何なるものでしょう。

 大自然に目を向けますと、天に輝く太陽の光は、大地に豊かな恵みを授けてくれます。しかし雲が覆い尽くすと、それすら適いません。雲を吹き払ってくれるのは、風の力によるものです。太陽神である天照大御神様をお祀りする伊勢神宮は、内宮・外宮に別れていますが、この両宮のご神域にお祀りされているのが、唯一風の神様だけです。また、小宇宙と言われる人体に目を向けますと、呼吸も、音を聞くのも、声を出すのも全て風の力によります。更に大宇宙には、大気の流れがあり、これ即ち風そのものであり、風は、この世の森羅万象全てに必要不可欠の存在なのです。


 さて、日本は言霊の国と言われます。言葉には不思議な霊力が宿り、様々な働きをすると言うものです。その言葉は脳で、情報処理をします。ところが、日本語を話す人と外国語を話す人では、処理方法が異なります。日本語を話す人は、自然の音、つまり動物や虫の声、川のせせらぎ、風の音なども全て言語として情報処理をしますが、外国語を話す人は自然の音を雑音として情報処理をするそうです。つまり日本語は大和言葉とも呼ばれ、日本人を感性豊かに作り上げます。そして斯様な中から先人は、風のみならず、大自然全てに神々が宿ると感じ、信じると言うよりは、感じる宗教として、今日に至っているのが神道なのです。

 人の命はこの世に生まれ出てから限られた時間の中で、日々誠に尊い命を削りながら末期を迎えます。一生懸命のことわざ通り、命がけで日々を過ごしている訳です。しかしながら、命をかけて毎日を過ごしていると言う意識がなければ、これは非常に勿体ないことです。そこで、一所懸命に一生懸命と言う言葉が生まれてきました。その瞬間、その瞬間、目の前にあることに、命をかけて精一杯取り組み、またこの気持ちを一生続ける事が大切なのです。そして心が疲れた時は、ひと休みをして下さい。

 休むと言う字は人偏に木と書きます。木は陰陽道で風を意味し、風即ち風の神様を表します。人が木に身を添わせる、つまり風の神様に自身の心を寄り添わせる事が、休むの語源と言えます。
 ともすれば忘れがちな、或いは忘れかけていた素直な感性に気付かせてくれる処が、龍田大社。いのちとは、息の有るうちであり、息のあるうちつまり生きるうえで必要な風を感じる事ができる場所が、龍田大社です。

 当社では、全職員が信仰を通して心豊かな人生実現のより良き仲とりもちとなるべく、風の大神様にご奉仕申し上げて居ります。

 皆様方のご参拝を、心からお待ち申し上げております。



平成26年4月4日付を以て龍田大社宮司を退任いたしました。昭和51年より宮司として38年間神明奉仕できました事、また先代からの宿願の参集殿の建立並びに御鎮座二千百年祭を斎行できました事は、大神様の御加護はもとより、皆様方の格別のご芳情によるものと、衷心より深く感謝申し上げます。今後は名誉宮司として大神様の懐で 無為自然に余生を送りたいと存じ居ります
禰宜 稲熊 憲彦 権禰宜 濱 哲哉 権禰宜 堀井 佑二 主事 井上 浩子

日本の国風である感謝の心を常に忘れず、いつでも皆様方に「やっぱり龍田」と感じて頂けるよう、日々精進しております。

一人で出来る事には限りがありますが、皆様方に気持良くお参りして頂けますよう、他の神職と共に力を合わせ、ご奉仕致しております。

お一人でも多くの方に、より強いご神縁をお結び頂きたく、初心を深く心に刻み、真心こめてご奉仕させて頂いております。

日々ご神域でご奉仕させて頂ける事に感謝しながら、ご参拝の皆様方が、ご神徳を戴かれ、喜んでお帰り頂ける事を願っています。